エンガル2015

全日本の調整として参加。
距離は長くないため、強度をできるだけ高めたレースを心掛けるべくのぞんだ。

修善寺で優勝した西尾君に、どこまで食い下がれるか。
自分が学生の頃は修善寺で優勝していないし、あの頃より自分が強いとも思っていないので、勝てるとは全く思っていなかったが、学生トップクラスの登りの選手への力試しと思うと少し楽しみでもあった。

土曜日は、嫁と遠軽へ。
夕方到着し、自転車をイジイジ。
余裕をもってやらんと駄目だな。
夕食は、近くの蕎麦屋で鍋焼きうどん。
居酒屋にもいってみて、少し食べる。
異様な混み具合で、全然ホールがまわってない…。
メラトニン飲んで寝た。

日曜日は、ホテルで朝食をとり、
遠軽からコースへ。
優勝旗を返還して、スタートを待つ。
待ってる時間が嫌いなので、早くスタートしてって感じ。
スタート前にコースで水戸部さんと少し話す。

序盤は、ペースは速くないし、有力選手も積極的では無かったので、つまらないし、練習のためと思って前に出てペースを作る。

同調する動きはあまり無かったが、西尾君が一緒に走ってくれたり。
ペースを少し上げたら、若干キツそうだっが、終盤まで表情はあまり変わらなかったな。
集団はあまり緊張感のない感じで、ペースも遅かったから、勝負所が待ち遠しかった。

中盤は、集団のなかに入ったり、前にでたり、後ろにいったりと。
ペースあげるかーみたいな話をしているので、それまでの自分の動きを考えると、うーんと、思いつつも、備えておく。

登り始めでガツンとペースがあがる。
やっぱりなーと思うも、周りをみると有力選手が追っていくので、自分もワンテンポ遅れて追う。

追い付いてからは、ペースを上げて絞りたいので、先頭に出てペースを上げる。
栗栖君が登りでキツそうだったので、少しでも楽になればと、少しプッシュ。
何度か一緒にツール出てるし、近年ここまで残っていることが無かったので頑張ってほしかった。

終盤は、絞られたメンバーのなかで走る。
余裕無さそうな人たちは、やはり離れていく。
ペースが落るタイミングで、仕方なく暫く先頭に出て後ろに下がった瞬間に、アタックされたのは、相当頭にきた。
もう先頭に出てもペースを上げないと誓う。

意外にも脚に来ていてきつい。
最後の登りで、3人に絞られたが、自分はきついので、アタックに反応するテンポが一層落ちてきていたため、アタックされても追えないからと、2人に伝える。
案の定、西尾君がアタック。
木村君は、一瞬躊躇したと思うが、追っていく。
おいて行かれるが、とりあえず、頑張るしかない。
ペースが上がってるかは分からんが最後だし、出し切るのみ。
緩くなる手前のきつい坂で、木村君をパス。
2人で追いたかったので、手で合図するも、駄目だった。
前は見えているが、微妙な距離が縮まらない。逆に思ったよりも離されていなくて、少し意外。

頑張って追ってみるも、追いつきそうで追いつかない。
向こうも気にしていて何度も後ろを振り返っている。
ギリギリの状態で追い続けるが、ざっくり時間を測っても10秒程度が詰まらない。
ゴール手前でも縮まらないので、無理だと悟る。
かなり追い込んでゴール。

直後は、そうでも無かったが、低血糖?で、具合が悪くなる。
そして、補給で梅丹の黒ばかり飲んでいたため、カフェインの摂り過ぎで、少し震えも出た。

後半の余裕のなさから、距離に対する不安を拭いきれず終わってしまった。

ツールド北海道2009


Tour de Hokkaido 2009 2009 11 18 12 00 54 avi - YouTube

この年は社会人二年目で色々と上手くいった年。
まだこの時は自分も若かったから周りも理解もあったと思う。今では…。

とは言いつつ部署として9月開催のツールには、当初出るつもりはなかったが、訳あって7月上旬に出場を決めた。7月の20日過ぎまではかなり忙しかったから、7月下旬から本格的に準備した。
焦った分、集中していたと思う。
どんな風に過ごしていたかは、結構覚えている。
それから、お盆までの3週間は毎週末しっかりと追い込んだ。
特にお盆の3日間は、ロード、夜パワーマックスと、結構追い込んだ。
お盆で若干追い込み過ぎて、オーバートレーニング気味になってしまい、脚の調子は良いとは言えなかったが、振り返ってみると、準備としては、良かったと思う。

もうこんな年はないだろう。
肉体的にはピークだったかな。

ちなみに、近年はその少し下のレベルに持っていくので精一杯。
それは環境に流されていることが原因で、しっかりやれば、まだフィジカルは取り戻せるとは思う。ただ、大きなレース経験が少ないので、もしフィジカルを取り戻せても、コースによっては、展開に左右されることになるんだろうな。
たらればの話をしても、仕方ないけど。

その年は実際はツールド沖縄を意識していたから、良い負荷をかけれればと思っていた。(多分この年のツールド沖縄前が人生で最もフィジカルが高かったと思う。暑さ?により、結果は酷いものだったが。。)全く、気負ったときに良いことはないな…。

この年は道央ステージ。
初日、旭川河川敷で、午前中にタイムトライアル、午後から100キロほどのロードレース。序盤の江丹別峠と後半のアップダウンがポイント。
二日目は、名寄から幌延まで。
序盤の峠がポイント。
三日目は、幌延から下川まで。
序盤の峠がポイント。
四日目は、旭川から岩見沢まで。
クイーンステージで、序盤のアップダウンから、中盤の十勝岳、桂沢の登りがポイント。
五日目は、モエレでクリテ。

四日目が重要と睨んで、旭川近郊を車で試走もして、最低でも完走できるよう準備をした。

前日旭川入り。
旭川支所のみなさんと食事。
蕎麦をご馳走になった。
皆と合流してから、江丹別峠を試走。
選手宣誓をするよう告げられ焦る。
お決まりの言葉で特段ひねりのないものに
なってしまった。
場違い過ぎるだろう。
なぜ前年優勝の宮澤さんではなかったのか…。
帰り際、阿部ちゃんに、なまら緊張したべやと言うと、松田さん北海道弁丸出しですねと突っ込まれる。

旭川駅前のホテルに宿泊。
晩のミーティングで、インカレ優勝した西薗君の話題になる。
しんやさんが、いずれ日本一になるやつだと言っていたが、数年後本当にタイムトライアルで、日本一になっていた。

翌朝、しんやさんが、凄い選手が来ているというので、調べてみると、ヤンキリシプーであった。
ツールで活躍していた選手がいることに、少し心が躍る。

第1ステージは旭川の河川敷でショートタイムトライアル。
折り返しが道がツルツルで危険…。
頑張ってみたが、結果はイマイチ。。
当然だな。

午後は第2ステージ。
河川敷の狭い道に列ぶ。
大滝以来のレースで、集団の中は怖かった。
江丹別峠までに逃げが決まり、集団のペースが落ちる。
いつの間にか先頭に出てしまったり…。
江丹別峠に入っても、かなりスローペースなので、
アタックして、飛び出してみる。
少し一人で走ってみるも、先頭には追いつかないし、中途半端な位置となる。
中盤にさしかかり、集団に吸収されるも、かなりペースが上がっており、今度は着いていくので精一杯になる。。
無駄な走りであった。
やはり皆元気だし、登りでも太刀打ちするのは難しいと悟る。

下りに入り、ペースが落ち着き、しばらく平坦で、距離を消化していく。
このステージは試走していなかったので、ポイントとなる後半のアップダウンのイメージがわかないため、心の準備と、集団でのポジショニングに困った。
何となく、皆が殺気立つのを感じて準備しておく。
が、やはりポジショニングがイマイチなまま、アップダウンに突入。ふるい落としのため、ペースがガッツリ上がる。
登りで、バラバラ降ってくる選手たちを抜いて、位置を上げ、下りもエアロポジションで攻めてコーナーも、攻めて、少しでも前にいく。
何とか先頭集団に入り込む。
結構ツラくて、早くゴールしてくれと願いつつ、走る。
ゴール前は、よくわからず、カーブもあり、位置どりも微妙。若干登り基調なところを、これまた微妙なスプリントで頑張って、何とか先頭が見える位置でゴール。
13位かな。
後半がハードであった。
終わってすぐダウンしてプロテイン
全ては回復のため。
名寄の宿舎に泊まる。
オーバートレーニング気味な中で、体を追い込み過ぎたのだろう、夜中ツラくて目が覚めて、少し寝れなかった。

二日目。
名寄をスタート。
懲りずに序盤の登りで力試しをしてみようと思った。
早々にミヤタカさんのスーパーな逃げが決まり、ボロボロと選手が追っていき、また集団のペースが落ちる。
山岳ポイントの登りに入っても、微妙なペースなので、また一人で飛び出してみる。
しばらく走るも、前にも後ろにも誰もいない。。
遠くに選手が見えた。
大きな選手だと思ったら、ヤンキリシプーだった。
下りで集団に追いつかれて、補給ポイント。
それを過ぎて、集団に入っていると、遅く感じるので、せっかくだしと、前のほうで、ローテーションに入ってみる。実質は、4人位のローテーションであった。
しばらくして、向かい風でキツくなったので、また集団でお休み。
後半微妙な登りが、山岳ポイントだったが、位置どりが悪く全く動けず。。
ミヤタカさんが一人で吸収されるのが見えた。
この向かい風の中を一人で逃げるとは、本当にあり得ないくらい強いんだなと感じた。
これは、ゴール勝負だなーと思って、若干気を抜いていると、日本海側の海沿いの道で、横風になった途端ペースが上がる!
そして、落車も発生!
巻き込まれなかったが、中切れが発生して、先頭とはかなり離れてしまう。
かなり混沌とした中、数名でパックになり、ペーサーも使いながら、しばらく追いかけて、やっとのこと、集団復帰。
めっちゃ焦った。
やはり、、後からもボロボロと追いついてきて、結局大集団に。
それからは、海からの強い横風のなかアタック合戦。
オーストラリアチャンピオンもアタックしているのが見える。が、さすがに風が強すぎて、抜け出せず、集団が有利な模様。
また少し内陸に入っていくが、今度は追い風で、なおかつゴール近いため、スピードがかなり上がる。
中盤くらいに位置していたため、中切れ発生となり、沈む。。さらに、タイム差までついており、後味が悪かった。
ゴール後、すぐ補給して、ローラーでダウンを心がけた。
マッサージの菊池さんからは、かなり脚きてるね~と言われる。もともと固いうえにオーバートレーニングでさらに追い込んでたから、無理はしていたけど、動かせる範疇ではあったから大丈夫。

三日目は、序盤過ぎたあたりの登りがポイント。
スタート前、東大のコーチで来ていた柿木さんと少し話す。
学生の頃より強いんじゃない?と言われたが、そんなに学生の頃、今より弱い走りしてたかなーと複雑であった。

総合は全く関係ないから、少しでも山岳ポイントを取ることに意味を見いだす。自分が飛び出したときの集団の情報を教えてもらうために、初めて無線をつけてレースに臨む。
幌延をスタートして、緩いアップダウンでアタック合戦。
逃げに乗れればと思ったが、乗れず。。
逃げが決まり、ペースが落ちる。
後ろで休んでいると、登りが始まったので、一気にポジションを上げて、先頭へ。
少し先頭を走っていたら、アタックがかかる。
かなりの有力選手たち。。
自分も何とか乗ってみる。
も、無駄な動きのせいか、かなりきつい。
先頭では、西薗君が断続的にペースを上げている。
たまらず、離れてしまう。
少し走って、後ろのメイン集団を待つ。
集団は楽だし、走りやすく、回復したので、無事峠を通過。
下って少ししたら、先頭吸収。

ここからは、微妙なアップダウンを走る。
風向きも微妙。
あまり集団内でも休めず。
この日の後半からは、試走していたので、コースのイメージバッチリ。
ゴールに向けては下り基調で、かなりペース上がるも、ポジションも悪くなく、無事ゴール。

序盤の峠で切れてしまったことが少しショックだった。
しんやさんからは、あれは勝つメンバーが入った逃げだから、着いていくのは無理だったぞと言われる。
登りの感覚は悪くなかったが、やはりトップ選手との力には差があるんだなーと痛感。
まぁそれでも次の日がクイーンステージで、実質最後だしやれるところまでやってみることにした。

初日同様、旭川駅前のホテルに戻ってきて泊まる。

四日目は旭川スタート。
ほぼ試走していたので、コースのポイントのイメージは、頭にある。
結構疲れていて平坦でアップしていても全然スピードがでない。
こんな日に、ロングのタイムトライアルなんかしたら最悪な結果だろうな、ヨーロッパのプロは大変だと、感心。
スタート時間に余裕できたので、一人でスタートラインで待つ。
美幌からじいちゃんも見に来てくれてた。
旭川の町中を結構なスピードで駆け抜けていく。
集団にいるので対応できる。
郊外にでてペースが落ち、トイレタイム。

愛三の広瀬さんが少し話しかけてくれた。

北海道選抜の~番、登りで毎回前に来てるなー。
あ、ありがとうございます。登りしか得意なところないので。。

学生か?
いえ、社会人です。

今日のステージきついけど、がんばろうや。
はい!

みたいな話だったと思う。
もしかしたら、地元だからと、コースの詳細を聞かれたかも。。記憶曖昧。

序盤の若干の登りでペースが上がる。
佐野さんのパワフルな走りが印象的だった。
が、対応できないペースまでは上がらない。
余裕をもって前のほうでクリアーできた。
吹っ切れたのが良かったか。
十勝岳に向けて少し自信になる。

美瑛から白銀温泉までは、あまり速くないペース。
白銀抜けてからの本格的な登りに備える。
中盤より少し前で、本格的な登りに入る。
定石通り、ペースが上がり、中切れ発生。
ポジションを上げていく。
きついが何とかついていく。
無事先頭集団に入る。
ツラいが、勾配が、緩くなるところもあり、回復できた。
集団前方にポジションを上げる。
きつかったので展開はあまり記憶にないが、人数は絞られていた。
自分もローテーションに加わる。

自分が先頭のとき、路上で写真を撮っていた、仲沢さんのフラッシュが光が見えた。
(後日ご丁寧にメールをくれて、その時の写真を送っていただいた)

最終的には、前の3人に絞られたと思う。
ミヤタカさん、日大、自分。
自分がローテーションで先頭に出たら、頂上が近くなったのか、誰も前に出てくれない。。
コムは森の中で、よくわからないまま、仕方なく先頭にいると、ミヤタカさんがびょーんと飛び出していく。
本当にびょーんという感じ。
当然ながら、全く追いつけず。
あ~やっぱりと思っていると、日大がまくりに来ている。
学生には負けん!とミヤタカさんの次でポイント獲得。
(実際はその前にオーストラリアと韓国が逃げていた。あとで韓国はリタイアしていたが…。)
コムの場所がわかりにくかったことを悔やんだが、いずれにしても結果はかわらんだろう。

このまま絞られたメンバーで!と期待したが、周りはあまりそんな雰囲気でもなく、下りで皆に追い付かれる。

ペースは落ち着き、富良野の町を抜けて桂沢の登りに入っていく。
ここは車で試走してるので、イメージバッチリ。

富良野を過ぎたあたりで、阿部ちゃんと少し話す。
アタックしても誰も協力してくれないと嘆いていた。
自分もあまり協力できず申し訳ない。。
そのあと、阿部ちゃんはアタックしていたが、やはり決まらず。
だが、翌日のクリテでは素晴らしい走りをしていた。

桂沢の登りは緩いので集団が有利。
序盤はそこそこのペースで、ちょうどいい。
十勝岳の登りで自信がついていた。
ペースが上がっていくと、例のごとくバラバラ先頭から落ちてきて、位置を上げていく。
道は開けていて、コムのイメージもわいていた。
コム近くで、少し後ろからダッシュ!
集団先頭を取ることができた。
ミヤタカさんは、もう山岳賞を決めていたから、動いていなかった。
正直、自己満でしかなく、山岳賞2位に付けていた青柳君をまくってしまって、少し申し訳ない思いもあった。
ただ、それぞれの部門で、過去表彰は4位までなされており、そこになんとか引っかかるために動いていた。

コムでは新聞を渡していたので、勢いそのまま、新聞をいただき、お腹につめる。

下りで青柳君と話す。

前に誰か逃げてましたかね?
多分いたと思うよ。

ポイント取れたかなぁ。
どうだろうね、十勝岳はどうだったの?
登りで遅れちゃって…。
そうかぁ。

まくったことには、特に何も触れられなかった。

アップダウンが続く。
登りはそこそこペースがあがる。
きついなぁと思い、近くの宮澤さんを見たら、少しきつそうな表情だったが、すぐに普通の顔になった。

下ってから、岩見沢まではゴールに近いのでハイペース。
いつも通り何もできないが、位置を少し前でも前に保ち、ゴールで少しでも前にいきダッシュして、賞金を取ってチームに貢献、それだけ。

グリーンランドに向けて、曲がってからは、長い直線。
微妙に登っている。
そのため、中切れ多発。
仕方ないので、右側から単独スプリント。
13位。

ゴールしてローラーでダウン。
ドーピング対象となる。
おしっこは近いほうなので全く苦労せず。

結果は、山岳賞は4位になっていた。
表彰があると思っていたのだが…。
ぬか喜びであった。

高速で真駒内のアパへ。
最終日のモエレ沼には、会社の皆さんが来てくれるとのこと。

五日目
恒例のモエレ沼クリテ。
総合にはもう全く関係ないので転ばずにゴールできればいいと思っていた。
何もしないで集団内でゴール。
着順も気にしなかった。

会社の皆さんに挨拶。
何も動かなかったので、1度位先頭で来たらいいのにと言われた。
お気持ちは分かります。

残念ながら、山岳賞の表彰は1位のみだった。しんやさんも、苦言を呈していた。
自己満の山岳ポイント獲得となった…。

手稲に帰って、家族と徳寿でランチ。
少し寝てから、しんやさんの店で打ち上げ。
何を話したか覚えていない…。
酔ったので、タクシーで帰宅した。

恵まれた環境のなかレースが、できて本当に良かった。
おそらくこんなに揃った経験をすることは今後ないだろう。

道新杯2015

コースは好きではないが、クリテはそれ程不得意ではないといと思っている。

そもそも絶対的パワーが大きくないし、いきなり大きなパワーを出すのが得意ではない。
だから、平坦で風が強くて距離が短くて始めからポイントがあるこのレースはあまり好きではない。
ただ、クリテは走り方次第でパワーをうまくセーブして、後半の皆が疲れてくるところで、適切なタイミングで力を発揮すれば、うまく走れることは経験しているので、それほど不得意とは思っていない。

小橋君が出るので楽しみだった。

風が強く位置どりもあまり良くなく、きつい…。
前でポイント争いが始まってもきついので、あまり動けず。
小橋君は、小柄なのに、強風のなか動いていて、凄いなぁと思う。

中盤にかけて、やっと動けるようになってきた。
取れるときは、ポイントを取る。
それだけ。

後半も同様。
最後もとったし、結果に少し期待したが、2位だった。
内容はよくなかったから、悔しさもさほど無かった。

午後のオープンまでは、いつも微妙な時間で困る。
食べ過ぎると、レースでお腹痛くなるので注意。

オープンは、いつものように前の見える位置にいるし、決まりそうな動きは、チェックする。
終盤、水戸部さんが一人で逃げる。
パラパラと追いが入り、自分も追う。
が、強力すぎて追いつかない。
水戸部さんは全然たれてこない。
後半たれて、追いつくかなと期待したが、差は縮まらず。
ゴール。

ダッシュをないがしろにしていたツケで、高強度に対応できなかった後味の悪さを残して終わった。

ツールド北海道2007

ここら辺が、悲しいかな人生のハイライトなのであろう。
当初死ぬほどかけたレースではなかったが、
直前に決まった早稲田としてチームで出れて良かった。

北海道選抜として出場予定だったが、海外チームが出場キャンセル、学生個人ロードで明治が出てなかったこともあり、早稲田のポイントが高く、3週間くらい前に出場が決まった。

正直、7月以降、シーズンの疲れから、満足な練習はできず、自信はなかった。
多分そのシーズンで疲労も少なく調子が良かったのは、5月で、そこからはコンディションは下り基調だった。

このシーズンは色々あったので、いずれ振り返られればと思う。
夏休みで美幌に帰り、ロングとして、美幌から知床峠を2回ほど往復するも走りはイマイチ。

この年は、メンバーが豪華だったので、
盛り上がっていたと思う。
ユキヤや、土井さん、宮澤さん。
オーストラリアチャンプや、イランチーム。
コースは、事前のイメージだと、これまでと
同じだと思っていたが、はしってみると、
厳しい道南のコースだった。

四年生だったこともあり、事務的なことは、
かなり自分がやった。

前日美幌から小樽へ車移動。
昼について、駅前の地下で昼食。
宿はクラッセ。
車を借りて、小樽で監督会議に出る。
選手だけで、来てるのは、自分だけ…。
戻って、夕食食べて、夜中に軽く走る。
風呂に入って、大部屋で寝た。
寝付きは良くなかった。

第一ステージは、小樽スタートで、
トーマル峠を、越えてゴール。
午後からは、タイムトライアル。

クラッセから小樽までアップがてら
自転車でいく。
少し迷ったが、無事到着。
スタート前、少し阿部ちゃんと話す。

スタートしてからは、福島さんの誕生日をお祝い
したりして、なごやかかと思っていたが、
序盤のアップダウンで、かなりペースがあがる。
コースが全然わからず、初めから結構な
登りがあり、驚いた。
海岸線で落ち着くも、トーマル峠へ突入。
ペースがそこまで速くないので、
前のほうへ。
土井さんが来たので、着いていくも、先頭交代を
要求され、少し走ってみたが、キツイので、
後ろへ。
重めのギヤをグイグイと踏んでいく土井さんの印象は、
とても印象的だった。
追い付かれて、キツイながらも、前のほうにいたら、
山岳ポイントで、もがいて、ポイント獲得。
下ってみると、そこそこメンバーが絞られており、
チャンス。
前から来た飯島さんを自分の前に入れようと、間を
空けていたら、キレられた…。
ゴール前クランクで微妙に位置を下げつつも、
最後の登り基調のスプリントで抜いて、
ステージ13位。

昼は胸焼けしてあまり食べれず。
道新の記者から取材を受けた。
午後からは、アップで少しだけ踏んでおく。
前後に全日本チャンピオンの岡崎さんと畑中くんという結構場違いな順番ですねと、小野さんにスタート台で声をかけてスタート。
最初は上げすぎず、後半上げるイメージ。
短いから、ペース云々もなく、そこそこ出しきって
ゴール。
意外と悪くない順位だったな。
多分力抜いた人が多かったんだろうし、午前中の疲れもあったんだろう。

岩内の宿に泊まる。
個室は落ち着いた。

第三ステージは、共和をスタートして、新見峠を越えて、
もうひとつ峠を越えて、しばらく走ってゴール。

法政の島田君と、自走でスタート地点へ。
スタート地点で、藤原さんが、シマノの廣瀬さんに
話しかけて、自転車を持たせてもらっていた。
そんなに軽くないですよ~と、言って、
本当にあまり軽くはなさそうだった。

スタートしてから、新見峠はそれなりに余裕をもって、
頂上付近で、少しペースを上げてみると、
福島さんがキツそうではないか!
そのままペースをあげるも、数名に刺される。
下りは後ろで~と思っていたら、逃げが決まっていた。
が、次の山岳ポイントで捕まる。
なぜかここでは、死ぬほど苦しくて、離されそうになるも
必死に耐えた。
海岸線の補給地点、危ないから、道路線をはみ出したら
土井さんに怒られる。
そのあと、ペースが上がり、落ち着いたかなと思ったら、
逃げが決まる。
あまり総合順位に拘っていなかったので、グルペットでも
いいかなと思ったが、阿部ちゃん含め、何人か前で引いていて、
少し協力するも、調子は悪く、下がる。
それからは、本当にグルペット
シマノの野寺さんが冗談を言ったりしていた。
自分も、もうペース上げるなと思っていた。
結局、かなり差をつけられてゴール。
自分は山岳ポイントに狙いを定めていくことにした。
長万部の民宿に泊まる。
翌日のステージの噂にビビり、
うしろは、25に交換してもらった。
温泉で、ポールさんと話した。
ドイツはリーダー以外、メンバーがダメで…と言っていた。
枕の相性があまり良くなかったような気がする。

第4ステージは、長万部をスタートして、アップダウンを経て、
山場のウィンザーを越え、またアップダウンを経て、伊達にゴールする。
皆、ウィンザーに恐れをなしていた。
自分も不安ではあったが、北海道だし、そんな急で長い坂が
あるわけないだろうと思っていた。
山岳ポイントを狙って走ることにした。
元気になるかなと思い、補給に、小さい缶のリアルゴールド
入れて渡してもらうことにした。
スタートから、あまり天気が良くなかった。
パレードは、しばらくゆっくり。
アップダウンが始まると、雨が降りだした。
そこそこ自分にとっては、ペースが早く、
抜け出すことはできず、集団に着いていく。
逃げが決まっており、山岳ポイントも意味なく通過。
補給地点でリアルゴールドを受け取り、飲んでみるも、
炭酸で飲みにくかった…。
そして、缶なので全て飲まなければならない。
ペースが落ちていたので、飲むことができたが。
集団は、逃げを捕まえるために、ペースをあげていく。
自分もウィンザーに備えて集中。
少しの登りで、ペースが上がり、自分の前の田代さんが、
とてもキツそう…。
中切れされても、困るので後ろから少しプッシュ。
プライドを傷つけることにならなければいいなと
思ったが、その後で、手を上げてくれ、恐らくサンキューの
意味。
とりあえず、後ろは不安なので、前のほうに行こうと、
上がっていくと、土井さんに、お前、総合に関係ないんだから、
前にくるなとお説教を受ける。
よし、土井さんよりは、前に上がらないようにしようと、
誓う。
ウィンザー手前のアップダウン区間では、ミヤタの中村さんが、
逃げを捕まえるために、雨風のなか鬼引きしている。
実業団選手は、大変だ…と思った。
皆殺気立っているため、恐らくウィンザーであろう
登りに入る。
ここで、逃げは吸収。
自分も、前のほうで、登りに突入。
少し前に着いていたが、ペースが速くて辛い。
後ろごめん!と、横にそれると、後ろには、
ほとんど人がいなかった…。
仕方ないので、踏み続ける。
日大の大庭君が横で、ペースを合わせていた。
後ろで宮澤さんが、リーダー遅れてるぞ!と
叫ぶ。
が、自分にはあまり関係ない。
勾配がキツイので、速度がゆっくりなうえに、
雨なので、排水溝ごとに、滑る。
一番キツイところで、青木さんが応援してくれて
いたが、返すことができず。
少し勾配が、緩んだところで、ユキヤ様が、
後ろから一気に加速。
着いていけない。
少しがに股気味にクルクルとペダルを回す、
ユキヤの印象は、覚えている。
前には8人位の有力選手しかいないと、わかっており、
山岳ポイントのためにも、追い付きたいが、
走るので精一杯だった。
後半は、ずっと大庭君と二人だったと思う。
下りに入り、後ろから飯島さんと、イランが
追い付いてくる。
地獄の四人ローテ。
というか、自分は飯島さんが怖いので、なんとか前にでる
位で、必死。
飯島さんも、大庭君も、スピードレーサーだし。
前の集団に追い付いて、よし!このまま皆で!
と思ったら、さらに後ろから集団が…。
残念。
少しすると、ユキヤがアタック。
恐らくは、泳がすイメージもあり、しばらくは、
前に見えていた。
洞爺湖温泉街を抜け、少し長い登りへ。
飯島さんが、抜けだし、自分も追ってみるも、
集団を引き連れた感じで、潰してしまった…。
それからは、集団スプリントに備える。
集団もそこそこ早いペースだったが、
結局ユキヤに追い付かず。
右端から、渾身のスプリントをするも、
角のスプリントが圧倒的で、ステージ6位。
直後、狩野さんに、危ないし、後ろで、
順位競っても意味ないからやめろと、
説教を受ける。
十時は、宮澤さんと一緒にウィンザーの下りで、
集団を追ったようで、ゴール後、宮澤さんから、
ありがとうと言われ喜んでいた。
しかし、先頭集団だと思っておらず、スプリント
しなったことに、後悔していた。
三本ローラーでダウンして、室蘭へ。
室蘭の宿では、上松瀬と電話した。
結果を聞いて驚いていたが、そんなことないよ、と。
風呂では、他の学生と一緒になる。
鹿屋の角君と、少し話す。
北京はどうなの?と、聞くと、やはり飯島さんですと。
暑いのが苦手で昨日のステージは厳しかったと伝える。
片山君からは、インカレ一緒に逃げれたら良かったのに、
と言われたが、暑さで苦しくて、そんな余裕は無かったよと。
飯島さんから、強いと言われてたと聞かされ少し驚いた。
自分がそんなに評価されているとは、思っていなかった。

風呂から、上がり、親と少し電話。
明日はオロフレの頂上で待っているよ、と。
もう総合は厳しいから、山岳ポイントを狙うと伝えた。
十時と相部屋で、明日はどんなレースですかと聞かれ、
どうなるかはわからないよと伝え、ゆっくりして寝た。

第5ステージは、室蘭スタートで、オロフレを越えて
アップダウンを経て、支笏湖を登り、真駒内にゴールする。

朝食を食べ、フロントで新聞を読みつつ休憩。
自転車の保管室が近くで、ミヤタの自転車に、
金色のシャマルが付いていて、格好良かった。

スタート地点は、すぐ近く。
アップがてら、近くをうろうろ。
スタート直前、ブレーキが戻りにくくなるアクシデントが
あるも、少し調整してもらい、ラバネロの飯野さんに、
手で戻せば大丈夫だよと言われる。

スタートしてからは、パレードこそ、ゆっくりだったが、
海沿いの平坦道は、結構なスピードで進んだ。
逃げも出来ていたが、入れず集団のなかで、走る。
オロフレに入ってからは、そこそこのペースで進む。
角君からは、今日暑いですねと言われ、
少しね…と答える。
前に入ろうとしたら、マトリックスの橋川さんに、
お前強いかもしれないけど、割り込んでくんなよ!
と、怒られる。
そこまで、変な動きはしていないと思いつつも、
複雑な心境。
本格的に登り始めてからは、メイタンが、コントロール。
ミヤタカ、福島さん、ユキヤの後ろなら、目立てて、写真にも
写るだろうという、スケベ心。
後で写真をみたら、バッチリ写っていた。
ミヤタカさんが、頑張ろうとあげるも、福島さんからは、
一定ペースで!とのこえ。
後ろの自分は、楽でもなく、死ぬほどキツくもなく、
飛び出せないペースで、やけに路面抵抗が重く感じた。
途中、とってもうるさい応援に遭遇。

前には、追い付くことができず、霧のなか山頂を通過。
下ってから、土井さんと話すことが、出来た。

お前強いな。今、何年?
4年です。
卒業か、自転車続けるの?
いえ、今年で最後で、普通に就職します。
そうか、もったいないなー、強いのに。何て言う会社?
北海道のホクレンというところです。
あー、銀行か?
いいえ、農協みたいなところです。
そうか、後ろに、鹿屋の角がいるから、お前も前を
引くのを協力してくれ、アンダーとれるかもしれないぞ。
お前のチームメイトにも、伝えてくれ。
わかりました。

十時と二人で集団前方へ。
少しだけ前に出たが、そこそこキツく、一度前に出て、
後ろに下がってしまった。
その後、少しキツイ登りが現れて、土井さんが
ペースを上げる。
積極的にレースして、結果も残して凄いなぁと、
後ろで感心。

大滝の補給所へは、平和に流れる。
土井さんに、さっきはありがとうと言われ、
いえいえ、後ろ離れましたかねと聞くと、
無線で聞いてくれたが、ハッキリとは
分からなかった。

補給所を過ぎると、西谷さんが、本当にすーっと、
抜け出る。
少し迷ったが、集団待機。
美笛峠は、少しペースが上がって、キツメに終わる。
下りで、西谷さん吸収。
下り基調の支笏湖畔のみちでは、そこそこペースが
落ち着く。
アダムさんから、コーラを渡してもらったので、
せっかくだし、いただいた。
補給が不安だったので、後ろに下がって、チームカーから
補給食べ物を貰っておいた。
支笏湖温泉のホットスポットに向けて、ペースが上がり出す。
二人が抜け出し、メイタンが追い出す。
恐らく追い付くだろうと思っていたのだが。
風の強いなか福島さんが、引いていく。
とても、絞れた黒光りした脚が印象的だった。
必死におうも、他チームは、協力的ではなかった。
支笏湖ホロピナイ登りに入り、自分も最後の勝負どころと思い、
集中して、展開に備える。
土井さんたちが、ペースをあげて抜け出していくも、
付いていけず。
アンダーは、誰も入っていない。
ミヤタカさんが、ペースメイク。
自分も集団から抜け出し、阿倍ちゃんと、オーストリア
3人で、前を追う。
路面抵抗が重いのか、勾配はキツくみえないのに、
スピードがでなくて、とてもキツイ。苦しい。
3人で下りに入るも、後ろに追い付かれる。
そこから札幌へのアップダウン区間が地獄だった。
下り超速いし、何度も続く登りもキツイ。
後ろを振り返る余裕などなく、前に着いていくのに、必死だった。
やっと、前に追い付くも、前頭二人には追い付けず。
やっと、アップダウン区間が終わった!と思い、
ゴールスプリントに備えるかと思っていたら、
常盤で急に曲がり、まだ登りが!!
ミヤタカさんが、一気に減速していった。
皆意表をつかれただろう。
幸い登りは、短く。
あとは、ゴールスプリントに備える!ということで、
集団を見渡すと、アンダーは、阿倍ちゃんだけ。
ここで考える。
ステージシングルを狙うか、アンダー1位を狙うか。
表彰は、アンダーのみ。
よって、阿倍ちゃんをマーク。
あえて後ろに下がり、阿倍ちゃんをみる。
最後の直線に入り、皆スプリント開始!
阿倍ちゃんを捲るも、前との差は大分開いていた。
ゴールラインを通過したら、ユキヤがキレて、
ボトルを投げつける。
あぁ恐い。
やっと一息。
天沼さんの両親が、わざわざ差し入れをもって、
来てくれた。
とてもありがたい。
初めての表彰式と、インタビュー。
待っているとき、別府匠さんと話す。
後続集団からも遅れて、かなりギリギリで、
ゴールしたらしい。
今年の早稲田は強いねと言っていた。
土井さんも登場。
ユキヤには勝たせたくないから、協力しなかった
らしい。
表彰式のあと、サインを求められてびっくり。
アンダーは逆転ならずだったけど、仕方ない。

真駒内からすすきののパコまでは、自転車で行った。
携帯をいじっていたら、馬場さんから電話があった。
パコのご飯はまあまあ。
もう一仕事終えた感じがある。

第6ステージは、モエレ沼のクリテ。
ホテルから、モエレまでは、順天堂と一緒にいくことに。
会場に到着すると、飯島美和さんに呼び止められ、
インタビュー。
コースを少し回って、スタート。
クリテは、ゴールまで頑張って、スプリントで、
少しでも上にいく。
展開はあまり覚えていない。
スプリントは、いちどりがあまり良くなく、
間を縫っていく感じで、イマイチ。

やっと終わった。
岡本からは、まだ元気で走れそうですねと。
ゆっくりペースなら、まだ走れそう。

パコに戻り、休んでから閉会式へ。
結構豪華な会場だった。
斎藤さんから、クリテも結構上位だったねと驚かれる。
順位知らなかった。14位。
総合は16位。
閉会式は、ビール園。
放映されたビデオは、またまた大した映らず。
ユキヤと少し話す機会があった。
ウィンザーの登り速かったねとお世辞をいただき、いえいえと。
緊張であまり話せず。
大村と少し話す。
二次会はなく、帰って寝た。

翌日、まだ動き始めたばかりの札幌の町をあるき、
バスで美幌に帰った。
順天堂に、これから家に帰るんだと伝えると、
そうか!北海道だもんな!と言われた。

久しぶりの札幌飲み会

小林さんからお誘いいただき、まさひふさんと3人の飲み会。
講習会には、申し込んでいたが、実際にお会いするとなるので、事前にネットや雑誌で、どんな指導をされているのか確認していった。

何となくこれまで意識していたものもあれば、
なる程と思うものもあり。

実際に会ってなる程と思ったのは、
左右均等になることは、重要。
これは、マイケルロジャースに実際聞いた話とのこと。
高岡さんは、全日本のとき、ディレイラーが破損したが、その時に最適なダンシングをすぐ掴めたこと、さらに翌日もそこまで体に疲労がなかったこと。
宮澤さんの本に書いてあることも、全てが正しい訳ではない。
有名選手は簡単に出来てしまう人も多く、その人のいうことが、全て参考に出来るわけでもない。


重力に向かってペダリングすること、ダンシングの重心も前気味?にしっかり体重をペダルに乗せること、ペダルを上げるときのチョウヨウキンの働きなど、ネットにある情報も、実際に聞くことができた。

勿論他多数。

色々感心する話が多く、経験や知識が豊富なのだから、当然なのだが、やはり、都会の人は色々な人との交流を持つことで情報交換ができて、羨ましいと思った。

かねてから思っているが、やはり一歩すすんだ情報を持っているというのは、強いな。
LSDやポジショニングから、インターバルトレーニング、タバタ、パワーメーターときて、体の使い方、効率が流行になっていると思う。
流行になるには、それなりの理由があるわけだが、それをいち早く察知して、本質を読み取り、実践して、自分のものに出来ることが、他の人より、一歩先にいく1つの方法なんだな。と改めて感じた。

北海道の、さらに田舎にいると、ネットや雑誌の表面的な情報しか入ってこないから、情報を掴むことができても、本質を知り得ることが難しいから、自分のものになかなかできない。というのも、マイナスなところとも改めて感じた。
(田舎は田舎なりに住みやすいし、良いところもあるわけで、どちらがいいかは、自分のなかでまだ結論を出せていないのだが…)

今回は、直接話すことで、生の情報を聞けて良かったと思った次第。
そこから、自分のものに出来るかは、自分次第。

仕事に押し潰されつつあるし、家庭に押し潰されるかもしれないけど、自分が楽しいと思うことが続けられるように、気持ちを切らさず、少しでも続けていかなければ。

十勝3時間耐久2015

謎の規則により、暫く出場を迷っていたが、皆さん参加されるとのことで、練習も兼ねて参加することにした。

ホイールは暫く迷っていたが、前輪コリマの後輪ライトウエイトにした。

前夜は、帯広の親戚うちにお世話になる。
朝途中まで自走。
20キロくらいかな。
時間が気になるので、最後は車に乗り込む。
結局時間に余裕はあったのだが。
暑くなりそうな感じだった。
なんとなく、気分も盛り上がらず。。

スタート。
水戸部さんと2人になるも、えらい速くてきつい。
屈伸ノルマを終わらせて走りに集中。
途中ペースを落とすことを提案いただき、安堵…。
延々とローテーション。
飛ばせるところは、とばす。
風が強いところは、耐える。
水戸部さんがいなくなり、一人になる。
ペースが、合いそうな人を見つけては一緒に走る。
時間が長い…。
熱いし、足裏の痛みも出てきた。
恐らく水分摂取が、足りてなかったかな。

水戸部さんとも残り3周くらいで合流。
最後は、離されてゴール。

暫く体調不良でキツかった。
多分熱中症だったのだろう。
帰って、親戚うちで、氷で体を冷やす。
暫くしてやっと回復してきて、苫小牧へ帰る。

なかなか追い込めてよかった。
メンバーが少なすぎて集団走行にならなかったのは、残念。。

茂木サイクルマラソン2015

連休中で、メンバーも良いレース、モチベーション
維持にもいいと思いエントリー。

嫁にはメインは関東の旅行として
連れてきたが、大変な旅行になった…。

31日に東京へ。
新千歳の駐車場から空港へ向かうとき、
後ろの子供が咳をしてたのが、気になった。
新橋のアパに泊まる。
セミダブルというが、ほぼシングル。
立ち飲みや、すき焼きを食べて満足。

1日は、ニューイヤー駅伝にハマる。
昼に蒲田の宿へ。
スカイツリー付近に行ってみたが、
人混みで参った。
歩き疲れた。
夜、近くの居酒屋でご飯を食べるが、
何となく体調が悪い。

2日は、大好きな箱根で、蒲田を
通るが、あまり体調もよくなく、
見に行かなかった。
羽田近くでレンタカーを借りる。
体調は、悪いのに、首都高で、
かなり神経を使う。
車中は、ほぼ無言で箱根のラジオを聞く。
なんとかレンタカーで栃木へ。
宇都宮の病院は、あり得ないほど混んでいて、茂木の病院にいくことに。
宇都宮の町でうどんを食べる。

茂木の病院では、風邪との診断。
ほっとして、茂木のホテルへ。
自転車が別の場所に到着しているアクシデントはあり、整備に時間がかかる。
体調は、悪いが、脚の調子は休んでいたから、悪くはなさそう。
薬を飲んで、なんとか夕食をとる。
出場は翌朝の体調によるということにした。

翌朝、体調は、回復していなかったが、
走れないほどではない。
周回コースなので、厳しいようなら、
途中リタイヤも考えて出ることにした。

嫁をホテルに残してコースへ。
延長バルブが、壊れて何名かに声をかけるもののだめで、空気圧が微妙なまま。。

気温は、それ程寒くはない。
早めにならんでおくも、待ち時間が暇すぎる。

ローリングスタート
前のほうでこなして、リアルスタートでペースがあがる。
風が強い…。
喉が痛むので、参加賞のネックウォーマーで口を覆うも苦しい。

途中阿部ちゃんと少し話す。
喉の痛みは、もう諦めた。
口呼吸で喉のダメージは悪化すると思うも、仕方ない。

展開はあまり覚えていない。
点でしか、記憶なし。
高岡さんの近くで緊張したり。
途中何人かで逃げるものの、風が強くて
押し戻される。
ペースはそこそこだけど、風が強いので、先頭はきつい。
終盤、ペースが上がるも、コース上の選手がぐちゃぐちゃで危険。。
脚もつるしで必死。
ゴールの状況がよく分からず、雪崩れ込み。
恐らく先頭が見える位置でゴール。

リザルトが暫く出なかったが、6位。
嫁をホテルへ迎えにいき、表彰。
写真をみたら、えらい浮腫んでいた。

自転車梱包して、日光へ。
喉の痛みがひどい。
友達に会ったりして。
その後も予定は、こなしていくが、体調は回復せず、
4日に再度羽田近くの病院にいき、インフルエンザと診断。

5日に苫小牧へ帰り、病院へ直行。
嫁の感染も発覚。
2人で苦しんだ…。

体調悪いし色々あったなか、ギリギリ入賞したのは、良かったが、力不足や脚が攣ったことが不安になった。

そして、この先数年は、年末年始の旅行禁止となった。