ツールド北海道2009


Tour de Hokkaido 2009 2009 11 18 12 00 54 avi - YouTube

この年は社会人二年目で色々と上手くいった年。
まだこの時は自分も若かったから周りも理解もあったと思う。今では…。

とは言いつつ部署として9月開催のツールには、当初出るつもりはなかったが、訳あって7月上旬に出場を決めた。7月の20日過ぎまではかなり忙しかったから、7月下旬から本格的に準備した。
焦った分、集中していたと思う。
どんな風に過ごしていたかは、結構覚えている。
それから、お盆までの3週間は毎週末しっかりと追い込んだ。
特にお盆の3日間は、ロード、夜パワーマックスと、結構追い込んだ。
お盆で若干追い込み過ぎて、オーバートレーニング気味になってしまい、脚の調子は良いとは言えなかったが、振り返ってみると、準備としては、良かったと思う。

もうこんな年はないだろう。
肉体的にはピークだったかな。

ちなみに、近年はその少し下のレベルに持っていくので精一杯。
それは環境に流されていることが原因で、しっかりやれば、まだフィジカルは取り戻せるとは思う。ただ、大きなレース経験が少ないので、もしフィジカルを取り戻せても、コースによっては、展開に左右されることになるんだろうな。
たらればの話をしても、仕方ないけど。

その年は実際はツールド沖縄を意識していたから、良い負荷をかけれればと思っていた。(多分この年のツールド沖縄前が人生で最もフィジカルが高かったと思う。暑さ?により、結果は酷いものだったが。。)全く、気負ったときに良いことはないな…。

この年は道央ステージ。
初日、旭川河川敷で、午前中にタイムトライアル、午後から100キロほどのロードレース。序盤の江丹別峠と後半のアップダウンがポイント。
二日目は、名寄から幌延まで。
序盤の峠がポイント。
三日目は、幌延から下川まで。
序盤の峠がポイント。
四日目は、旭川から岩見沢まで。
クイーンステージで、序盤のアップダウンから、中盤の十勝岳、桂沢の登りがポイント。
五日目は、モエレでクリテ。

四日目が重要と睨んで、旭川近郊を車で試走もして、最低でも完走できるよう準備をした。

前日旭川入り。
旭川支所のみなさんと食事。
蕎麦をご馳走になった。
皆と合流してから、江丹別峠を試走。
選手宣誓をするよう告げられ焦る。
お決まりの言葉で特段ひねりのないものに
なってしまった。
場違い過ぎるだろう。
なぜ前年優勝の宮澤さんではなかったのか…。
帰り際、阿部ちゃんに、なまら緊張したべやと言うと、松田さん北海道弁丸出しですねと突っ込まれる。

旭川駅前のホテルに宿泊。
晩のミーティングで、インカレ優勝した西薗君の話題になる。
しんやさんが、いずれ日本一になるやつだと言っていたが、数年後本当にタイムトライアルで、日本一になっていた。

翌朝、しんやさんが、凄い選手が来ているというので、調べてみると、ヤンキリシプーであった。
ツールで活躍していた選手がいることに、少し心が躍る。

第1ステージは旭川の河川敷でショートタイムトライアル。
折り返しが道がツルツルで危険…。
頑張ってみたが、結果はイマイチ。。
当然だな。

午後は第2ステージ。
河川敷の狭い道に列ぶ。
大滝以来のレースで、集団の中は怖かった。
江丹別峠までに逃げが決まり、集団のペースが落ちる。
いつの間にか先頭に出てしまったり…。
江丹別峠に入っても、かなりスローペースなので、
アタックして、飛び出してみる。
少し一人で走ってみるも、先頭には追いつかないし、中途半端な位置となる。
中盤にさしかかり、集団に吸収されるも、かなりペースが上がっており、今度は着いていくので精一杯になる。。
無駄な走りであった。
やはり皆元気だし、登りでも太刀打ちするのは難しいと悟る。

下りに入り、ペースが落ち着き、しばらく平坦で、距離を消化していく。
このステージは試走していなかったので、ポイントとなる後半のアップダウンのイメージがわかないため、心の準備と、集団でのポジショニングに困った。
何となく、皆が殺気立つのを感じて準備しておく。
が、やはりポジショニングがイマイチなまま、アップダウンに突入。ふるい落としのため、ペースがガッツリ上がる。
登りで、バラバラ降ってくる選手たちを抜いて、位置を上げ、下りもエアロポジションで攻めてコーナーも、攻めて、少しでも前にいく。
何とか先頭集団に入り込む。
結構ツラくて、早くゴールしてくれと願いつつ、走る。
ゴール前は、よくわからず、カーブもあり、位置どりも微妙。若干登り基調なところを、これまた微妙なスプリントで頑張って、何とか先頭が見える位置でゴール。
13位かな。
後半がハードであった。
終わってすぐダウンしてプロテイン
全ては回復のため。
名寄の宿舎に泊まる。
オーバートレーニング気味な中で、体を追い込み過ぎたのだろう、夜中ツラくて目が覚めて、少し寝れなかった。

二日目。
名寄をスタート。
懲りずに序盤の登りで力試しをしてみようと思った。
早々にミヤタカさんのスーパーな逃げが決まり、ボロボロと選手が追っていき、また集団のペースが落ちる。
山岳ポイントの登りに入っても、微妙なペースなので、また一人で飛び出してみる。
しばらく走るも、前にも後ろにも誰もいない。。
遠くに選手が見えた。
大きな選手だと思ったら、ヤンキリシプーだった。
下りで集団に追いつかれて、補給ポイント。
それを過ぎて、集団に入っていると、遅く感じるので、せっかくだしと、前のほうで、ローテーションに入ってみる。実質は、4人位のローテーションであった。
しばらくして、向かい風でキツくなったので、また集団でお休み。
後半微妙な登りが、山岳ポイントだったが、位置どりが悪く全く動けず。。
ミヤタカさんが一人で吸収されるのが見えた。
この向かい風の中を一人で逃げるとは、本当にあり得ないくらい強いんだなと感じた。
これは、ゴール勝負だなーと思って、若干気を抜いていると、日本海側の海沿いの道で、横風になった途端ペースが上がる!
そして、落車も発生!
巻き込まれなかったが、中切れが発生して、先頭とはかなり離れてしまう。
かなり混沌とした中、数名でパックになり、ペーサーも使いながら、しばらく追いかけて、やっとのこと、集団復帰。
めっちゃ焦った。
やはり、、後からもボロボロと追いついてきて、結局大集団に。
それからは、海からの強い横風のなかアタック合戦。
オーストラリアチャンピオンもアタックしているのが見える。が、さすがに風が強すぎて、抜け出せず、集団が有利な模様。
また少し内陸に入っていくが、今度は追い風で、なおかつゴール近いため、スピードがかなり上がる。
中盤くらいに位置していたため、中切れ発生となり、沈む。。さらに、タイム差までついており、後味が悪かった。
ゴール後、すぐ補給して、ローラーでダウンを心がけた。
マッサージの菊池さんからは、かなり脚きてるね~と言われる。もともと固いうえにオーバートレーニングでさらに追い込んでたから、無理はしていたけど、動かせる範疇ではあったから大丈夫。

三日目は、序盤過ぎたあたりの登りがポイント。
スタート前、東大のコーチで来ていた柿木さんと少し話す。
学生の頃より強いんじゃない?と言われたが、そんなに学生の頃、今より弱い走りしてたかなーと複雑であった。

総合は全く関係ないから、少しでも山岳ポイントを取ることに意味を見いだす。自分が飛び出したときの集団の情報を教えてもらうために、初めて無線をつけてレースに臨む。
幌延をスタートして、緩いアップダウンでアタック合戦。
逃げに乗れればと思ったが、乗れず。。
逃げが決まり、ペースが落ちる。
後ろで休んでいると、登りが始まったので、一気にポジションを上げて、先頭へ。
少し先頭を走っていたら、アタックがかかる。
かなりの有力選手たち。。
自分も何とか乗ってみる。
も、無駄な動きのせいか、かなりきつい。
先頭では、西薗君が断続的にペースを上げている。
たまらず、離れてしまう。
少し走って、後ろのメイン集団を待つ。
集団は楽だし、走りやすく、回復したので、無事峠を通過。
下って少ししたら、先頭吸収。

ここからは、微妙なアップダウンを走る。
風向きも微妙。
あまり集団内でも休めず。
この日の後半からは、試走していたので、コースのイメージバッチリ。
ゴールに向けては下り基調で、かなりペース上がるも、ポジションも悪くなく、無事ゴール。

序盤の峠で切れてしまったことが少しショックだった。
しんやさんからは、あれは勝つメンバーが入った逃げだから、着いていくのは無理だったぞと言われる。
登りの感覚は悪くなかったが、やはりトップ選手との力には差があるんだなーと痛感。
まぁそれでも次の日がクイーンステージで、実質最後だしやれるところまでやってみることにした。

初日同様、旭川駅前のホテルに戻ってきて泊まる。

四日目は旭川スタート。
ほぼ試走していたので、コースのポイントのイメージは、頭にある。
結構疲れていて平坦でアップしていても全然スピードがでない。
こんな日に、ロングのタイムトライアルなんかしたら最悪な結果だろうな、ヨーロッパのプロは大変だと、感心。
スタート時間に余裕できたので、一人でスタートラインで待つ。
美幌からじいちゃんも見に来てくれてた。
旭川の町中を結構なスピードで駆け抜けていく。
集団にいるので対応できる。
郊外にでてペースが落ち、トイレタイム。

愛三の広瀬さんが少し話しかけてくれた。

北海道選抜の~番、登りで毎回前に来てるなー。
あ、ありがとうございます。登りしか得意なところないので。。

学生か?
いえ、社会人です。

今日のステージきついけど、がんばろうや。
はい!

みたいな話だったと思う。
もしかしたら、地元だからと、コースの詳細を聞かれたかも。。記憶曖昧。

序盤の若干の登りでペースが上がる。
佐野さんのパワフルな走りが印象的だった。
が、対応できないペースまでは上がらない。
余裕をもって前のほうでクリアーできた。
吹っ切れたのが良かったか。
十勝岳に向けて少し自信になる。

美瑛から白銀温泉までは、あまり速くないペース。
白銀抜けてからの本格的な登りに備える。
中盤より少し前で、本格的な登りに入る。
定石通り、ペースが上がり、中切れ発生。
ポジションを上げていく。
きついが何とかついていく。
無事先頭集団に入る。
ツラいが、勾配が、緩くなるところもあり、回復できた。
集団前方にポジションを上げる。
きつかったので展開はあまり記憶にないが、人数は絞られていた。
自分もローテーションに加わる。

自分が先頭のとき、路上で写真を撮っていた、仲沢さんのフラッシュが光が見えた。
(後日ご丁寧にメールをくれて、その時の写真を送っていただいた)

最終的には、前の3人に絞られたと思う。
ミヤタカさん、日大、自分。
自分がローテーションで先頭に出たら、頂上が近くなったのか、誰も前に出てくれない。。
コムは森の中で、よくわからないまま、仕方なく先頭にいると、ミヤタカさんがびょーんと飛び出していく。
本当にびょーんという感じ。
当然ながら、全く追いつけず。
あ~やっぱりと思っていると、日大がまくりに来ている。
学生には負けん!とミヤタカさんの次でポイント獲得。
(実際はその前にオーストラリアと韓国が逃げていた。あとで韓国はリタイアしていたが…。)
コムの場所がわかりにくかったことを悔やんだが、いずれにしても結果はかわらんだろう。

このまま絞られたメンバーで!と期待したが、周りはあまりそんな雰囲気でもなく、下りで皆に追い付かれる。

ペースは落ち着き、富良野の町を抜けて桂沢の登りに入っていく。
ここは車で試走してるので、イメージバッチリ。

富良野を過ぎたあたりで、阿部ちゃんと少し話す。
アタックしても誰も協力してくれないと嘆いていた。
自分もあまり協力できず申し訳ない。。
そのあと、阿部ちゃんはアタックしていたが、やはり決まらず。
だが、翌日のクリテでは素晴らしい走りをしていた。

桂沢の登りは緩いので集団が有利。
序盤はそこそこのペースで、ちょうどいい。
十勝岳の登りで自信がついていた。
ペースが上がっていくと、例のごとくバラバラ先頭から落ちてきて、位置を上げていく。
道は開けていて、コムのイメージもわいていた。
コム近くで、少し後ろからダッシュ!
集団先頭を取ることができた。
ミヤタカさんは、もう山岳賞を決めていたから、動いていなかった。
正直、自己満でしかなく、山岳賞2位に付けていた青柳君をまくってしまって、少し申し訳ない思いもあった。
ただ、それぞれの部門で、過去表彰は4位までなされており、そこになんとか引っかかるために動いていた。

コムでは新聞を渡していたので、勢いそのまま、新聞をいただき、お腹につめる。

下りで青柳君と話す。

前に誰か逃げてましたかね?
多分いたと思うよ。

ポイント取れたかなぁ。
どうだろうね、十勝岳はどうだったの?
登りで遅れちゃって…。
そうかぁ。

まくったことには、特に何も触れられなかった。

アップダウンが続く。
登りはそこそこペースがあがる。
きついなぁと思い、近くの宮澤さんを見たら、少しきつそうな表情だったが、すぐに普通の顔になった。

下ってから、岩見沢まではゴールに近いのでハイペース。
いつも通り何もできないが、位置を少し前でも前に保ち、ゴールで少しでも前にいきダッシュして、賞金を取ってチームに貢献、それだけ。

グリーンランドに向けて、曲がってからは、長い直線。
微妙に登っている。
そのため、中切れ多発。
仕方ないので、右側から単独スプリント。
13位。

ゴールしてローラーでダウン。
ドーピング対象となる。
おしっこは近いほうなので全く苦労せず。

結果は、山岳賞は4位になっていた。
表彰があると思っていたのだが…。
ぬか喜びであった。

高速で真駒内のアパへ。
最終日のモエレ沼には、会社の皆さんが来てくれるとのこと。

五日目
恒例のモエレ沼クリテ。
総合にはもう全く関係ないので転ばずにゴールできればいいと思っていた。
何もしないで集団内でゴール。
着順も気にしなかった。

会社の皆さんに挨拶。
何も動かなかったので、1度位先頭で来たらいいのにと言われた。
お気持ちは分かります。

残念ながら、山岳賞の表彰は1位のみだった。しんやさんも、苦言を呈していた。
自己満の山岳ポイント獲得となった…。

手稲に帰って、家族と徳寿でランチ。
少し寝てから、しんやさんの店で打ち上げ。
何を話したか覚えていない…。
酔ったので、タクシーで帰宅した。

恵まれた環境のなかレースが、できて本当に良かった。
おそらくこんなに揃った経験をすることは今後ないだろう。