ジャパンカップオープン2005

2005年は調子が良かった。
大学2年は伸びるという話は聞いたことがある。生活への慣れも大きいのだろう。
さらには、高校3年時乗り込み中心だったが、大学に入りインターバルトレーニングもするようになったことで、ベースに伸びができたと思う。
大学1年時は、門田杯、学生ロードともに、10位台とまあまあな順位であったが、夏の事故でその後は思うような結果を残せなかった。
冬はランニングもやっていたしパワーマックスの1時間走でベースを作れたのも良かったと思う。

大学2年になってからは、
群馬県カップで実業団とソコソコ走れ
学生クリテで入賞
門田杯で逃げ
大滝ロードで2位
韓国で追い込み
インカレ、ツールド北海道
とレースを走れるようになっていた。

後半戦は、ジャパンカップツールド沖縄
ジャパンカップは、2004年大学1年のときに出場し、20位くらい?。コースがめちゃくちゃキツすぎてビックリした記憶がある。

そんなイメージもあり、どこまで走れるか、若干不安もありながらのレースとなった。

スタートはいつものとおり大人数。登りに入り最初のほうはペースが速くキツいがポジションを上げていく。

徐々にペースが落ち着き、登りもソコソコこなせるようになっていたため、前に出たりする。
これはもしかして山岳賞いけるのでは?と思い始める。
山岳賞周回でも登りで飛び出る。
あまり競らず、割と普通に山岳賞を通過。
その後も、知り合いが集団にいたが、何も言われなかったため、間違えたか?と思いだす。
よって、翌周も飛び出ると、勝負がかかったアタックがかかり、必死でついて行く。
登り頂上を通過したくらいで、自分の直後で落車音。振り返る余裕はなし。それ以降、後ろの気配が無くなったため、逃げが決まる。
レースで勝つBSエスポ村上
ベルエキップ増田さん
なるしま二戸さん
自分
の4名
BSが割と引いていたと思う。
増田さんはちょっとキツめかな?
4人でローテ。

残り1周手前で、増田さんから、キツそうな顔で、あと何周ですか!?と聞かれ、あと1周だ!頑張れ!と返した。と思う。

登りはアタックがかからず、ゴール手前2キロくらいから牽制になる。

脚使っていたし優勝はムリにしても表彰台くらいはいけるのでは?と淡い期待を持つも、BSのアタックに全くついていけず、、。3人が先行してしまい、自分だけ取り残される。
かなり距離も開いてしまったため淡々と走りゴール。

それでも、登りでは先行できて山岳賞取れて逃げて4位だったので満足。

表彰後、増田さんから、すいません、自分走り方とか全然分からなくて!レース中も変なこと聞いちゃって。と言われたので、驚いて、いえいえ全然ですよ!と返す。

このレースをキッカケに増田さんはミヤタに入って活躍されオリンピアンにまでなられる。

そんなレースで一緒に走って逃げてほんの少しだけど会話もしたという懐かしくて嬉しい記憶。