茂木サイクルマラソン2015

連休中で、メンバーも良いレース、モチベーション
維持にもいいと思いエントリー。

嫁にはメインは関東の旅行として
連れてきたが、大変な旅行になった…。

31日に東京へ。
新千歳の駐車場から空港へ向かうとき、
後ろの子供が咳をしてたのが、気になった。
新橋のアパに泊まる。
セミダブルというが、ほぼシングル。
立ち飲みや、すき焼きを食べて満足。

1日は、ニューイヤー駅伝にハマる。
昼に蒲田の宿へ。
スカイツリー付近に行ってみたが、
人混みで参った。
歩き疲れた。
夜、近くの居酒屋でご飯を食べるが、
何となく体調が悪い。

2日は、大好きな箱根で、蒲田を
通るが、あまり体調もよくなく、
見に行かなかった。
羽田近くでレンタカーを借りる。
体調は、悪いのに、首都高で、
かなり神経を使う。
車中は、ほぼ無言で箱根のラジオを聞く。
なんとかレンタカーで栃木へ。
宇都宮の病院は、あり得ないほど混んでいて、茂木の病院にいくことに。
宇都宮の町でうどんを食べる。

茂木の病院では、風邪との診断。
ほっとして、茂木のホテルへ。
自転車が別の場所に到着しているアクシデントはあり、整備に時間がかかる。
体調は、悪いが、脚の調子は休んでいたから、悪くはなさそう。
薬を飲んで、なんとか夕食をとる。
出場は翌朝の体調によるということにした。

翌朝、体調は、回復していなかったが、
走れないほどではない。
周回コースなので、厳しいようなら、
途中リタイヤも考えて出ることにした。

嫁をホテルに残してコースへ。
延長バルブが、壊れて何名かに声をかけるもののだめで、空気圧が微妙なまま。。

気温は、それ程寒くはない。
早めにならんでおくも、待ち時間が暇すぎる。

ローリングスタート
前のほうでこなして、リアルスタートでペースがあがる。
風が強い…。
喉が痛むので、参加賞のネックウォーマーで口を覆うも苦しい。

途中阿部ちゃんと少し話す。
喉の痛みは、もう諦めた。
口呼吸で喉のダメージは悪化すると思うも、仕方ない。

展開はあまり覚えていない。
点でしか、記憶なし。
高岡さんの近くで緊張したり。
途中何人かで逃げるものの、風が強くて
押し戻される。
ペースはそこそこだけど、風が強いので、先頭はきつい。
終盤、ペースが上がるも、コース上の選手がぐちゃぐちゃで危険。。
脚もつるしで必死。
ゴールの状況がよく分からず、雪崩れ込み。
恐らく先頭が見える位置でゴール。

リザルトが暫く出なかったが、6位。
嫁をホテルへ迎えにいき、表彰。
写真をみたら、えらい浮腫んでいた。

自転車梱包して、日光へ。
喉の痛みがひどい。
友達に会ったりして。
その後も予定は、こなしていくが、体調は回復せず、
4日に再度羽田近くの病院にいき、インフルエンザと診断。

5日に苫小牧へ帰り、病院へ直行。
嫁の感染も発覚。
2人で苦しんだ…。

体調悪いし色々あったなか、ギリギリ入賞したのは、良かったが、力不足や脚が攣ったことが不安になった。

そして、この先数年は、年末年始の旅行禁止となった。

茂木サイクルマラソン2015

連休中で、メンバーも良いレース、モチベーション
維持にもいいと思いエントリー。

嫁にはメインは関東の旅行として
連れてきたが、大変な旅行になった…。

31日に東京へ。
新千歳の駐車場から空港へ向かうとき、
後ろの子供が咳をしてたのが、気になった。
新橋のアパに泊まる。
セミダブルというが、ほぼシングル。
立ち飲みや、すき焼きを食べて満足。

1日は、ニューイヤー駅伝にハマる。
昼に蒲田の宿へ。
スカイツリー付近に行ってみたが、
人混みで参った。
歩き疲れた。
夜、近くの居酒屋でご飯を食べるが、
何となく体調が悪い。

2日は、大好きな箱根で、蒲田を
通るが、あまり体調もよくなく、
見に行かなかった。
羽田近くでレンタカーを借りる。
体調は、悪いのに、首都高で、
かなり神経を使う。
車中は、ほぼ無言で箱根のラジオを聞く。
なんとかレンタカーで栃木へ。
宇都宮の病院は、あり得ないほど混んでいて、茂木の病院にいくことに。
宇都宮の町でうどんを食べる。

茂木の病院では、風邪との診断。
ほっとして、茂木のホテルへ。
自転車が別の場所に到着しているアクシデントはあり、整備に時間がかかる。
体調は、悪いが、脚の調子は休んでいたから、悪くはなさそう。
薬を飲んで、なんとか夕食をとる。
出場は翌朝の体調によるということにした。

翌朝、体調は、回復していなかったが、
走れないほどではない。
周回コースなので、厳しいようなら、
途中リタイヤも考えて出ることにした。

嫁をホテルに残してコースへ。
延長バルブが、壊れて何名かに声をかけるもののだめで、空気圧が微妙なまま。。

気温は、それ程寒くはない。
早めにならんでおくも、待ち時間が暇すぎる。

ローリングスタート
前のほうでこなして、リアルスタートでペースがあがる。
風が強い…。
喉が痛むので、参加賞のネックウォーマーで口を覆うも苦しい。

途中阿部ちゃんと少し話す。
喉の痛みは、もう諦めた。
口呼吸で喉のダメージは悪化すると思うも、仕方ない。

展開はあまり覚えていない。
点でしか、記憶なし。
高岡さんの近くで緊張したり。
途中何人かで逃げるものの、風が強くて
押し戻される。
ペースはそこそこだけど、風が強いので、先頭はきつい。
終盤、ペースが上がるも、コース上の選手がぐちゃぐちゃで危険。。
脚もつるしで必死。
ゴールの状況がよく分からず、雪崩れ込み。
恐らく先頭が見える位置でゴール。

リザルトが暫く出なかったが、6位。
嫁をホテルへ迎えにいき、表彰。
写真をみたら、えらい浮腫んでいた。

自転車梱包して、日光へ。
喉の痛みがひどい。
友達に会ったりして。
その後も予定は、こなしていくが、体調は回復せず、
4日に再度羽田近くの病院にいき、インフルエンザと診断。

5日に苫小牧へ帰り、病院へ直行。
嫁の感染も発覚。
2人で苦しんだ…。

体調悪いし色々あったなか、ギリギリ入賞したのは、良かったが、力不足や脚が攣ったことが不安になった。

そして、この先数年は、年末年始の旅行禁止となった。

ツールド北海道2005

この年は、シーズン通して調子が良かった。
それに尽きる。
大学二年目は、流れが掴めてきて伸びる年だと思う。
身体的な成長もあったし、練習も割とまじめにやっていた。
冬にそこそこ乗り込めたのと、ランニングをしていた
ことがよかったと思う。

8月頭の、韓国遠征が終わってから、
しばらく美幌にもどり、インカレ後、
また美幌へ。

正直ロングはほとんどしなかったが、
トレセンのパワーマックスで結構追い込んでいた。
正直、数値は全然だったが、苦しみに
耐える練習をしていた。

その年のそれまでの結果により、自信がないわけではなく、
前年の出ただけではあるが、雰囲気も
分かっていたのもあり、不安要素は、
前年より少なかった。
ただ、プロ選手との力量は、未知数なのは
変わらず、不安は少なくない。

この年のツールは、道東ステージ。
帯広から、東方面へいき、南にそれて、
札幌へ。
山岳もあるが、ゴールまでは平坦が長い。
地元が近いし楽しみだった。

メンバーは、林さん、馬場さん、深谷さん、樋口さんと、
最年少の自分。
監督しんやさんに、メカで、レジェンド安藤さんと
自衛隊の阿部さん、マッサーに斎藤さんと、
高校生?が手伝いに来てくれていた。

前日、帯広入り。
監督や林さんに、白いな…と言われる。
外で練習してなかったためだ…。
馬場さんと、プロローグの試走に出かけるも、
爆風だった。

翌日は、冷たい雨。
ホテルでマッサージしてもらい、
河川敷の会場へ。
初めてスポーツマッサージを本格的に
やってもらった。
法政の大村に、北海道はさみーよ!と
言われる。
たしか、白い息が出ていた。
キツイエアロヘルメットを借りて、
出走。
やはり、ペース配分がよくわからず、
微妙な走り。
前年よりは、良かったが、それでも
下の方だった。
北海道ホテルで開会式。
華やかだった。
その夜は、あまり寝つけず、何となく携帯
いじったりして、4時間位しか寝ていないと思う。

第一ステージは、帯広をスタートして、
白樺峠、幌鹿峠を越えて、足寄をとおり、
オンネトーの峠を越えて、阿寒スキー場に
ゴール。
朝食は、距離が長いので、食べれるだけ食べる。
スタートして、田舎道を走っているうちに、
逃げができていたようだ。
しかし、自分はよくわかっていなかった。
おそらく、抑えもあり、白樺峠は、
ゆっくりペース。
成長もあったのだろうが、かなり登りは
楽に感じた。
白樺峠の頂上では、ペースを上げてみる。
全く無意味な動きだったが…。
その後も、登りはかなり楽にこなせた。
前の逃げを決まらせるため、
ペースも速くなかったんだろう。
オンネトーの峠では、アタックに
少し乗ってみたり、阿寒への
下りでもアタックに乗ってみたりと、
動いみてた。
あとは、ゴールに向けて集中!と
思っていたら、密集する集団で、
前走者のふらつきを避けるために、
道路端の排水溝の段差にひっかかり、
車輪を割ってしまう…。
それでも、なんとか走れるが、
大きく振れて、ブレーキに当たっている。
後ろに追いやられたまま、最後の阿寒スキー場の
短い急な登りへ。
必死に何人か抜くも後方に沈んだ…。
悔しかった。
が、気持ちを切り替えるしかない。
車輪は、使うのは厳しい状態に…。
ダウンのため…と、阿寒から、阿寒横断を
越えて、下ったところまで走ることに。
かなり走ったな…。
途中から、車で川湯温泉へ。
レースでの走りは、少し他のチームから
評価されていたよう。
また、レース終盤でのことは、某実業団選手の
嫌がらせが影響したようだった。
なんとも、フラストレーションが溜まる日となった。
温泉では、熱い温泉に苦戦していた
ブリヂストンの清水選手を見かける。
あとで、知ったが、このステージで、
上位に入っていた。

第2ステージは、弟子屈から阿寒横断をこえて、
海沿いを走り、内陸に入って、峠を越えて、
平坦を走り、本別へゴールする。
スタート前、安藤さんから、色々話を聞かせてもらう。
とても、貴重だった。
川湯温泉から、弟子屈までは自走と、ペーサーで、
スタート後の峠に備える。
この日から、前日のジップの破損により、
キシリウムに代えたのだが、
やはり重い…。というか、キツイ。
スタートしてから、しばらくキツく、
阿寒横断も全然余裕がなかった。
そこから、逃げが決まり、ペースが落ち着く。
が、釧路~白糠の海沿いは、道が悪く、走りづらかった。
内陸に入って、逃げを吸収していき、
ペースが上がる。
有力選手の今まで走ったことのな登りの
スピードでのアタックに着いていく。
が、集団はバラけず。
あとは下り基調の平坦。
今日こそはと、ゴールスプリントに備える。
風が強く位置取りに注意。
ゴールは、思いの外、クランクになっていて、
もがきづらかった。
が、ステージ19位で、アンダー1位。
少しだけ、安藤さんに誉めてもらった。
本別から、十勝川温泉までダウン。
長かった…。
温泉で体重計ったら、55キロ台だった。
マッサージで、針をしてもらった。
初めてお灸しているのを目にした。

第三ステージは、池田から天馬街道を
通って、静内にゴール。
曇りの1日だった。
池田までは、車だったと思う。
天馬街道までのアタック合戦で、おいていかれ、
後ろに沈む。リーダーの後ろについたが、
力強い走りだった。
グリーンジャージの後ろにいるだけで緊張。
山岳ジャージの別府さんもカッコよかった。
天馬街道では、鹿屋が前に追い付くため、
ペースをあげ、その後ろにつく。
下りで、追い付き、海岸線へ。
意識がはっきりしていなかったのもあるが、
ゴールにた備えた密集した集団で、落車がおきて
巻き込まれる。
埋もれた自転車を引きずりだして、リスタート。
当然追い付かず、車を使う。
それでも、追い付かず、車に捕まる。
90キロほどでて、自転車が倒れそうになり、
必死に抑える。思わず叫んだほど。
集団は見えたが、結局追い付けず。
1分ほど離されてゴール。
帰る車で、法政の島田君がステージ3位で
表彰されるのを見る。
悔しかった。
宿は今はなき、ケンタッキーファームへ。
ご飯は微妙だった。
宿もコテージ?
うーん。
気分転換に、セコマで、まるごとバナナ
買って食べる。
皆に、明日かけてないの!?と驚かれたが、
そのときは、それでなにが変わるとも
思っていなかった。

第4ステージは雨。
門別をスタートして、アップダウンをこなし、
野幌ゴール。
アップダウンをこなしていき、死ぬほど
キツイ訳ではないが、楽ではないペースで
進む。
後半、初めて自転車で乗りながら、小水。
出にくくて、びっくり!
林さんに、アタックしようと言われ、
平坦のスピードは早くびびる…。
結局できず、ゴールに近づく。
酷い強風で、必死に集団に着いていく。
こんな強風のなか、リーダーはアタックを
かけて、集団を離して独走。
信じられなかった。
ドーピング違反となっていたが、ツールド北海道の
ときにもやっていたかは、わからない。
ゴールにかけるも、またステージ19位。
悪くはないが、良くはなかった。
札幌の、北区に泊まる。
確かティンカーベルに寄った。

第5ステージは、モエレ沼クリテリウム
前年たどり着けなかった最終日のクリテリウム
終始あまり余裕がなく、最後に落車が、あり、
ストップして、リスタート。
なんとかタイムがつかないようにとしたが、
追い付かず。
結局、リザルトでは、タイム差は付かなかった。

閉会式はモエレ沼のピラミッド。
リーダーはイケメンだった。
懇親会は、キリンビール園。
皆さん弾けていた。
栗村さんや、清水さんのピッチャー一気など。
ダイジェストには、また自分は写らず。
完走程度ではダメだと感じた。
二次会では、しんやさんの店へ。
林さんの酔っぱらいの絡みは、かなり
面白かった。

ダーツをしていたら、パクソンバクと少し
話すことができた。
たしか、保さんと、味の時計台で、
ラーメン食べて帰宅。

翌日、馬場さんと、札幌大通りでスープカレー
食べて、バスで帯広まで。
リーさんうちに寄って、馬場さんの車で、
美幌まで送ってもらった。

ツールド北海道2004

2004年
ついに、憧れのレース、ツールド北海道に出場できることになった。
8月上旬の事故の影響により、1ヶ月まともな練習はできなかった。
下旬のインカレは欠場したが、出来る限り追い込んだ練習をして備えた。
が、未知のレースであり、不安が大きかった。
インカレ期間中に電話で、北大チームからの打診があったと思う。悩んだうえで、出場を決めた。
出場権は、自分の力で勝ち取ったものではなかったが、
それでも昔からの憧れのレースに出れると言うことは、
やはり嬉しかった。


この年のツールは、モエレ沼でのプロローグを経て、
第一ステージは、大通り公園をスタートし、朝里峠、
中山峠を越える最もハードなステージ。
その後も、ハードなステージをこなしながら、
函館へゴールする。

練習は、充分に出来ていなかったことと、
全くレベルが未知のレースということもあり、
かなり緊張していた。

プロローグの前日、美幌を出発し、札幌に到着。
かなり大きな台風の影響により、大会の開催も
不安視されていたが、無事開催されることになった。
しかし、北大チームに合流して、北大のなかを
みると、ポプラ並木が倒れていたりと、
影響の大きさを感じた。

新納さんと、学食へいき、昼食をご馳走になった。
完走できるか、不安だと伝えると、
7月の全道ロードの走りが出来れば、
完走は問題ないと、言われる。
しかし、その時よりも、力は落ちていると感じており、
不安は拭えなかった。

サポート役の同年代の人に、自分が出るより、
君が出てくれて良かったと言われるが、
完走できるかが不安で、それに応えられる走りが
できるという自信がなかった。

夕方、部室近くの道で、サコッシュの受け渡しの練習を
したが、これも始めてで、不安だけが残る。

たしかNTTの宿舎に泊まったと思う。

緊張した夜を過ごしながら、プロローグを迎えた。
たしか、前走者は、シマノの土井選手。
目標にして走ろうと意気込むも、当然のように、
すぐ見えなくなる。
ペース配分がよくわからないまま、ゴール。
結果は、下から3番目。
落車した岡崎さん、チームメイトの
若木さんの上だった。
今思うと当然だが、これがその時の実力。

第1ステージは、大通りスタート。
こんなところからのスタートは、
とても貴重な経験だった。
スタートは、前列に陣取り、ローリング
スタートのときも、前のほうへ。
しかし、それも続かず、後ろの方へと
追いやられる。
前にいこうとするも、最初の小林峠での
ペースですら、キツイ。
なんとか、ついていき、下ると、
逃げができて、ペースが落ち着く。
小樽への5号線は、ゆっくりペースだったが、
後輪が重たく感じる。
力不足だったんだろう。
朝里峠へ入ると、早々に着いていけず、
集団から離れてしまう。
サポートカーからの援助も虚しく、集団復帰ならず、
一人孤独に走る。
なんとか、中山峠に入るも、当然集団は見えず、
パラパラ数人が見えるだけ。
途中、鹿屋の安藤さんと、一緒になり、
下りにて入り、多目に引いてもらう。
も、喜茂別手前で二人ともタイムアウト
その後、バスはどんどん選手を回収し、
20人位で、伊達市に到着。
日が傾きかけた伊達の駐車場は、日差しが強く、
暑かった記憶がある。

洞爺湖のホテルで、救済措置があると告げられるも、
自分は対象外。
北大チームは、自分を、除いて4名で、第2ステージに
進むこととなった。
その夜、翌日走ることはないのに、選手だからと、
マッサージをしてもらった。
なんとも、せっかく厚意でメンバーにしてもらったのに、
不甲斐ない走りで、大変申し訳なく、せめてもの
お返しにと、これからはチームへのサポートに尽くそうと
思った。

第2ステージは、洞爺湖をスタートして、ニセコの山々を
越えるステージ。
レース中は、与野さんと、車でコースを先回りして、
途中途中の山場で、応援することに。
ただ、自分は、地理も地図も読めず、与野さんが、運転しながら。地図をみつつ、道を先回りしており、助手席にいただけで、
役立つことはなかった…。
序盤のニセコの山場で、愛三の西谷選手が、目の前を単独通過。
トップ選手の山岳の走りを目の当たりにできた。
このステージで、確かメンバーは3人になった。

第3ステージは、長万部から、上磯ゴール。
天気があまり良くなかったと思う。
序盤の峠にいたが、かなり皆辛そうだった。
その後、もう一度先回りし、観戦したときは、
平坦でペースは落ち着いていた。
函館に泊まった。

第4ステージは、七飯から、遠回りして函館ゴール。
確か、七飯は雨が降っていた。
途中の峠で観戦。
狩野さんが、荒い息づかいで、外人と二人で登ってきた。

第5ステージは、クリテリウム
福島康司さんが、スタート前、話しかけてくれ、
完走できなかったというと、明るい声で、
また頑張ろう!と言ってくれた。
チームは、皆、完走してくれた。

その夜、函館駅近くのホテルで、閉会式と懇親会。
同世代の学生が活躍していて、とても羨ましかった。
長沼くんは第1ステージでの逃げ、守澤くんはアンダー総合かつ10位代。
十代なのに、アンダー総合の賞品がワインで、ツッコミがあった。
そこで、ダイジェストの動画を見た。
走っている選手たちは、やはり憧れで、自分とは
違う世界だと感じていた。

翌日、チームの皆で函館から札幌へ。
時間以上に、長い道のりだった。
親に札幌まで来てもらい、美幌へ帰った。

自転車経歴

インターハイロード3位(2002)
インカレロード6位(2007)8位(2005)
全日本学生個人ロード3位(2007)
全日本ロードU23 7位(2005)
ジャパンカップオープン4位、山岳賞(2005)
ツールド北海道山岳賞4位(2009)、ステージ6位、アンダーステージ1位、総合16位(2007)
チャレンジロードエリート6位(2010)
ニセコクラシック総合優勝(2016)