インカレロード2007

大学自転車部といえばインカレロード。
と自転車部の諸先輩方から説教を受け続けたが、自分のなかで、学生時代インカレロードは重要なレースの1つ、以上の位置づけにはなかった。
所属している部として最後のレースという意味でも意識はしていた。

好調だった2005年シーズン、大不調に終わった2006年シーズン。
2006シーズンを終えたときは部活を辞めるほどなやんだが、自転車を嫌いになれず、続けることにした。
ただ変えたのは自分が強くなると信じた練習を続けること。

2007年シーズン、開幕のきっかけは2月末の修善寺ウィンターロードでの優勝。爆風のなか、そこそこ積極的に走り、最後法政島田やオーベスト西谷さんに競り勝つことができた。それ以降も波はあるもレースの結果は入賞以上だった。

それにより、8月の欧州遠征に行けることに。結果はそこそこだったが帰国して大不調。身体に全く力が入らず。おそらく時差ボケで睡眠リズムが狂い回復しきらなかったと思う。

帰国早々に長野の順天堂との合同合宿にいくも全然走れず途中で泣きを入れて北海道の実家へ帰ることに。
長野からの新幹線は大分落ち込んでいた。

やはり涼しい北海道で過ごしていることで徐々に身体は回復していった。が、やはりレースを走れる準備は万全ではない。

2週間ほどでロングは1度ほど?パワーマックスでの追い込みも出来ず。
不安を抱えながら東京へ。そして、インカレ会場の修善寺へ。

トラックメンバーは表彰台に登る活躍をしていた。自分も最後のインカレ、最後の部としての大会なので、率先してサポートを行っていた。

後輩たちとロードにいくもやはりツラい。宿泊施設の窓で、走れずレースの結果も付いてこないのではと、酷く落ち込んだのを覚えている。

当時の自分は、パワーマックスでの1時間走でオールアウトすれば、調子が上がると信じていた。それが、ほとんど出来ていなかった。

ただ、修善寺のトレーニングセンターに、パワーマックスがあった。それから、トラック期間に、時間を見つけて、パワーマックスで追い込んだ。1時間走も1度出来、達成感と安心感に包まれた。

それでもロードでどこまで走れるか全く分からず。レースには不安を抱えながら望むことに。

コースは修善寺CSC140キロ。
なかなかハード。

いざスタートするも、やはり体調は良くない。
得意でない暑さもあって意識朦朧。。
積極的なレース展開となり、逃げが決まり追いかける展開で、集団に留まるも余裕はない。

ラスト2周あたりで、順天堂の村出が飛び出る。
非常にアツい展開だが自分は全く余裕無し。

https://youtu.be/XcqRVVTvei0

村出は逃げ続けるも捕まり、最後の登りスプリントへ。
明治守沢のキレキレスプリントを余裕無く見送り、積極的に走ったメンバー達にも置いていかれ、ゴール前でギリギリ村出を交わし、6位でゴール。

https://youtu.be/OclwwV96a0I

次々ゴールしてくる選手達。
終えて号泣する選手を横目に、ひとまず最低限の結果でゴール出来た安堵感から、笑顔で部のメンバーと話せることができた。

インカレは表彰台以下は何も無しのため、閉会式の表彰で、守沢のキレのあるスプリントと逃げ続けて最後3位に入った鹿屋の選手の凄さを感じるとともに、表彰されない寂しさを感じながら、最後のインカレを終えた。

夜に帰って、皆で居酒屋カラオケ行って夜中帰宅。二日酔いで早く目覚めて、散歩しながら、実家に電話してツールド北海道に向けてのスケジュールを確認した。